【宝塚市】兵庫県内で最も古いものの一つとされる「姥ヶ茶屋道標」が安倉南にあるらしいけど、いったいどこ?

昔の街道というのは、行く先の地名で呼ばれていたということで、有馬へ行く道は有馬街道、京都方面へは京伏見街道などと言われていました。

宝塚市内にも、尼崎方面から小浜を経由して有馬へ行く有馬街道が通っていて、その名残の道や、当時の道標が今も残っています。

姥ヶ茶屋道標のある三差路

道標の多くは18世紀末から19世紀にかけて設置されたものが多いそうですが、安倉南にある「姥ヶ茶屋道標」と言われるものは、寛文八年(1668年)の銘があるということで、兵庫県内で最も古いものの一つだそうです。

寛文八年紀年銘道標

説明書きの銘板によると、右が尼崎、左が伊丹となっているので、街道を小浜方面から来て、この三差路での方向を示しています。

ただ、銘板のそばには道標らしきものはありません。

そこから左に少しずれたところにある祠の中に置かれていました。

寛文八年紀年銘道標

本来は銘板のところにあったそうですが、保護のためか、こちらに移っています。

しかも、既に文字はふつうには判読不可能です。

寛文八年紀年銘道標

ちなみに有馬街道は、ここから小浜を抜けて、JR,阪急の線路を超えて、清荒神参道を横切り、西宮市へ入り、生瀬で武庫川を渡って有馬方面へ続いていました。

▼寛文八年紀年銘道標

まんぢう

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